memo
2019.05.29 三好達治と鷗②
「三好達治論 象徴イメージ「鳥」と精神の構」(2003, 中井一弘)
( 原文:http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/462/1/AN103087570140002.pdf )
・『測量船』「鴉」(1929年)
小野十三郎「迫りくるファシズムの予感」
村上菊一郎「心にもなく幼年学校士官学校に学び、軍国主義教育の至上命令に従って
いた作者自身の若い日の彷徨に対する苦い悔恨」
阪本越郎「軍隊教育の至上命令と服従が強制され、威嚇と敗北の苦しい記憶が、悪夢の
ごとく、この詩人の脳裏をたえず襲ったことと推察される」
➡ しかし、なぜ、「私」は「鴉」に変身したのか?
そして、なぜ、「鴉」は「言葉」を撒く存在だったのか
「ここで注意すべきことは、先述したように、「鴉」の啼き声が「言葉」に置き換えられているということである。思うにここで、「私」は「言葉を撒く存在」―つまり「詩人」に変貌したのではないだろうか。そして、そのように考えれば、「私」の「鴉」への変身譚は、「詩人の誕生劇」と読み換えることも出来るのである。」
「三好にとって、詩人としての自己認識は、絶対的な宿命であるとともに、悲痛な「敗北」の結果でもあった。「敗北」のもとに誕生した詩人である己の姿は、醜怪なものでしかありえない。そうした詩人としての自己のカリカチュア(戯画)が「鴉」なのである。」
・三好の「鴉」イメージのルーツ
石原八束:『測量船』における「鴉」以降の詩風は「フランス象徴詩風の不安感、懐疑感につつまれている。」
北川冬彦:三好の学生時代の親友
三好はこの詩(「鴉」)を書いた当時、ヴェルレーヌが獄中で書いた詩集
『サジェス』を読み耽り、『サジェス』を読んで三好が一晩中泣き明かす
ほど感動していた、という回想
この涙する三好こそが「鴉」だった、と北川の説
➡ ヴェルレーヌの影響
卒業論文「ポール・ヴェルレエヌの”智彗”に就て」
1929年 「鴉」発表
『巴里の憂鬱』(ボードレール)の翻訳を刊行
1935年 『悪の華』(ボードレール)の抄訳を刊行
➡「信天翁」(ボードレール)と「鴉」の類似性
➡ 「鴉」のイメージでもって「詩人」を象徴するという発想
・三好の「鴉」というイメージの使用系譜をわたって
『測量船』の「鴉」からの流れをふまえて考えるならば、三好が「鴉」という醜怪な形象に託してきたものは、「詩人」が現実世界に分け入り世俗におもねることによって、自らのうちに「俗なるもの」を取り込み肥大させる結果、純粋なるものを失ってしまうことへの嫌悪感なのであった。
・三好達治の1つの象徴としての「鷗」
『艸千里』「鷗どり」を例に出して - 「既に鴎は遠くどこかへ飛び去つた」
「…私は、この詩「鷗どり」に表れた三好の喪失感の対象を、必ずしも梶井基次郎や萩原アイに特定する必要はあるまいと考えている。…ここに表れているのは、そうした若き日の友情や恋をひっくるめた「青春の総体」がもはや失われてしまったことに対する詩人の嘆きではないだろうか。」
『一點鐘』「鷗どり」を例に出して - 「かつて私も彼らのやうなものであつた」
「ここでも『鷗』を作者の「青春」の象徴ととらえ、この詩を『青春喪失の嘆き』の歌と考えてよいだろう。」
『一點鐘』「灰色の鷗―ある一つの運命について」を例に出して - 「彼らいづこより来しやを知らず」
「『鷗』は、生の『謎』をことさら解き明かそうとはせず、ひたすら『彼らの円を描き』『彼らの謎を美しく』しようとする。作者は、そうした『鴎』の姿に『詩人』としての『運命』を重ね合わそうとしているかのようである。」
『砂の砦』「鷗」を例に出して - 「つひに自由は彼らのものだ」
「…作者は『鴎』の自由な姿に『漂泊の詩人』としての理想像を見い出している。」
➡ 「作者は一貫して『鴎』に『漂泊者=旅人』としてのイメージを見てきたと言える。それは時に『青春のロマンチシズム』とも繋がるものであった。そして、ついにそこに詩人としての在り方の『理想像』が重ねられることになるのである。」
・三好達治にとっての「鴉」と「鷗」
「『鴉』という象徴は、詩人にとって、自らの内なる『俗』を戯画化したネガティブなイメージを持つものであった。一方で、彼は『鴎』に、詩人としてのポジティブな在り方を託したのではないだろうか。」
三好の作品の内「鷗」の含まれる例
『艸千里』「鷗どり」
『一點鐘』「鷗どり」「灰色の鴎―ある一つの運命について」
『花筐』「鷗なく」
『故郷の花』「春艸」
『砂の砦』「砂の砦」「鷗」
『駱駝の瘤にまたがつて』「長江に舟を泛べて」「ひととせふれば」