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歌曲コンサートの今 イタリア・ドイツ歌曲コンサート~夜が織りなす一つの物語~

東京学芸大学 公開講座 2023
 
日 時:2023年12月10日(日)
開 演:14:00(開場:13:30)
会 場:東京学芸大学 芸術館(学芸の森ホール)
出 演:石崎秀和(声楽家、東京学芸大学准教授)
    森田学(声楽家、昭和音楽大学准教授)
    小田直弥(ピアニスト、弘前大学助教)
参加料:大人 3000円
    高校生以下 1000円
    ※東京学芸大学学生は無料です
持参物:不要
問合せ:以下(石崎)連絡先もしくは小田まで問合せください。
    hidekazu@u-gakugei.ac.jp
    080-6632-3238…
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mu-ship クリスマスコンサート~もういちど 歌声を~

日 時:2023年12月25日(月)
    開場 13:30
    開演 14:00
場 所:美浜文化ホール 音楽ホール
出 演:伊藤菜穂子(ソプラノ)
    木川翔(バリトン)
    小田直弥(ピアノ)
入場料:2,000円(全席自由) ※当日券は+500円
主 催:mu-ship
問合せ:info@mu-ship.com…
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【報告書】エジプト国初等教育への日本型器楽教育導入案件化調査

本報告書は、ヤマハ株式会社がJICAの業務委託下で実施したプロジェクトについて、報告を行ったものです。
当該プロジェクトの一環として、ヤマハ株式会社と東京学芸大こども未来研究所は共同研究として「EJSにおける器楽教育を対象としてた非認知能力の測定手法の検討」を実施し、その報告が別添資料として一般公開されました。
 
報告書の全文は以下URL(JICA図書館)より、東京学芸大こども未来研究所による報告は資料下部ページ数40頁よりご覧いただけます。
https://libopac.jica.go.jp/images/report/1000049247.pdf…
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部活動を見直す出発点-コンクールが生起する構造と意識

著者:小田直弥,清水稔
 
誌 名:音楽教育実践ジャーナル,第20号
ISSN:1880-9901
発行日:2022年12月31日
発行所:日本音楽教育学会…
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合唱団よびごえ

初めて合唱をする学生から高度な合唱を経験してきた学生まで、東京学芸大学音楽科学生有志で活動をしています。実践を通して「合唱×教育」を探究していきます。

春こん。東京春のコーラスコンテスト2023
「ユースの部 女声」銀賞


「Cikala le Pong Pong」
  (インドネシア・パクパク族の伝承歌 Ken Steven/編曲)
「Soleram」
  (インドネシア・リアウ州の伝承歌 Josu Elberdin/編曲)
 

 
Cikala le Pong Pong
Soleram
https://youtu.be/i1qkBiMTMy4

オペラ台本研究会

イタリアオペラの台本(セリフ)は韻文で書かれています。そのセリフは文字通りの意味だけでなく、背後に登場人物の心持ちや思いが存在しています。オペラ台本は単に読むための作品ではなく、上演されることを前提に書かれています。演者が声に出し、舞台上で演じることで成立するテキストなのです。これらの仕組みや作者の意図も含め台本を読み解いていくのが本研究会の主な活動になります。

#桜がみえる城下町で音楽研究してみた。

音楽を学ぶ学生と大学教員が、とある国立大学教育学部で行っている活動の記録。このnoteの主役は学生。遊び心と誠実さを大切に、のんびり更新していきます。 #一緒に音楽する? #弘前大学教育学部音楽教育講座ピアノ研究室

うたえ場♪英国

イギリスの歌曲や合唱作品がきれいなのは知ってるけど、イタリアやドイツ、日本歌曲のようには知らない…。 そこで「勉強してみよう!」と思い、立ち上げたnoteです。

memo


2019.11.18

日本の合唱作品に登場する特殊な記号たち

合唱は従来、いくつかのパートがそれぞれの音程やリズム、言葉を担い、それらが歌い手の身体を通して同時に再生されることで空間にハーモニーが生まれ、時には言葉の掛け合いが生まれるような音楽形態、と大変簡素ながらもまとめることができるかもしれません。それが、時代の流れの中で、創作者独自の哲学によってもたらされた様々な特殊唱法/奏法を取り込み、新たな体験へと拡張していることは、作曲家たちの生み出したその豊かな”記号たち”が示していると思われます。
そこで、以下では、日本の合唱作品における特殊唱法/奏法の一端を紹介することとします。これらの記号からは、合唱の含有するどの要素に対して作曲家が拡張の可能性を感じていたのか(例えば、拍子、声の使い方など)が読み取れるとともに、なぜそれらを開発し、採用しなければならなかったのか、という問いを与えてくれます。
「知らない記号=怖い=演奏しない」という思考にならず、どうか、日本が築いてきた合唱という体験の多様さと向き合うヒントにしていただけると幸いです。
 
<拍子に関するもの>
1.『ひみつ』「ひみつ」(谷川俊太郎/鈴木輝昭)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、数字で示しています。その基準となる音符は、ここでは四分音符です。

2.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、分数の形で示しています。

3.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化が各小節の左上に分数の形で示されていますが、そこで用いられているのは「付点8分音符分の1」「付点8分音符分の1プラス8分音符」「8分音符×2」など、多様です。

 
<時間に関するもの>
4.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
拍子の代わりに、この作品では3秒ごとに基準となる印が示されており、それを基準に音楽を進めていくことが記されています。指揮者がストップウォッチを持ち込んで演奏することがあります。

5.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
全休符の代わりに、ひし形に斜め線の入った記号が使われています。単純な休符ではなく、描かれている情景や音楽の流れにあった「間」をとることが意図されていると考えられます。

 
<音の伸ばしに関するもの>
6.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
倍全音符に似た記号が書かれてありますが、これは次の指示があるまで伸ばし続けることが意図されている、と考えられます。

7.『梟月図』「何が泣いただろうか」(宗左近/鈴木輝昭)
ここでは「B.O.」「B.F.」という、2種類のハミングが示されています。「B.O.」から「B.F.」、またその逆という組み合わせは音量の増減を意図して使用される場合があります。例えば、「B.F.」(口を閉じたハミング)から「B.O.」(口を開いたハミング)へと連続して歌唱すると、同じハミングでも、閉じていた口を開けることになるため音量も自然に大きくなります。この楽譜では、「B.F.」から「B.O.」になることで音量が自然に増すことが強弱記号でも示されています。(piu P から Pへと指示が変化している。)
ハミングについては、この他、様々な表記がなされることがあり、「B.F.」と同義なのは「Hum.」「m」、「B.O.」と同義なのは「ん」「n」等があります。

8.『Voice』「Since I was born…」(木島始/信長貴富)
黒塗りの全音符にフェルマータが付記されており、そこからナレーションのセリフへ矢印が示されています。これは、ナレーションが発音し終えるまで音を伸ばし続ける、という意味であり、その後は、ナレーションが終わるとそれに反応して次のフレーズへとつながる、という指示になっています。

 
<声の使い方、表現に関するもの>
9.『合唱のためのコンポジション14番』「KANJO」(間宮芳生)
黒く塗りつぶされた部分は、可能な限りその範囲の音を埋め、クラスターを作るよう意図されいています。写真の左側のクラスターの場合は、例えば、「レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯、シ、ド」をすべて発声することになります。右側のクラスターでは、最初は1音から、次第に音が重なり、ソの音までクラスターが広がるよう指示されています。
このようなクラスターの書法は『原爆小景』「日ノ暮レチカク」(原民喜/林光)でも見られます。

10.『合唱のためのコンポジション14番』「SHINGON」(間宮芳生)
ここでは、声楽的な歌唱よりも話すような声の使い方で、例えばテノール1であれば、およそシの音の高さで「n」を発音し、4拍かけて低いラの音辺りまでグリッサンドで下降し、その後「no」「mo」「no」「mo」を繰り返す中で次第にささやき声のように音量を落としていくよう、指示がなされています。

11.『のら犬ドジ』「ドジじゃないぞ」(蓬莱泰三/三善晃)…
2019.10.07

パレストリーナへの視点

現在もなお愛されているイタリア・ルネサンス後期の音楽家、パレストリーナ(正式な名を)は「教会音楽の父」と呼ばれることもあり、西洋音楽の歴史をたどっていく中で、1つのポイントとなる人物です。
ここでは、以下、パレストリーナに関して記されたいくつかの文献から、彼をめぐるいくつかの視点と、彼の代表作の1つである「Sicut cervus desiderat ad fontes」の演奏に関する記述も例示します。
 
 「パレストリーナは、ローマ近郊の町に生まれ、一生涯にわたってほとんどローマに住み、そこで活動した。彼の関心は、事実上、専ら宗教音楽にのみ集中していた。彼は、100曲以上ものミサ曲と数百曲ものモテットを書いたが、世俗曲はほんの数曲しか作曲しなかったのである。彼は、生前にも高い評価を得ていたが、死後には、いわば、彼の時代の完璧な大作曲家として大天才の位置に列せられ、更に大きな評価を受けるようになった。彼の諸作品は、完璧な手本とされ、今日に至るまでの声楽的対位法の教育の基本となった。他に比肩するもののないほどのこうした称賛を彼が得たのは、或る程度まで、歴史的偶然の結果だったとも言える。つまり、彼は、同時代の他のとても優れた作曲家達に比べて、それほど図抜けていたわけではなかった。だが、そうとはいえ、彼の音楽は、疑いなく、典礼式用の音楽に必要とされる諸条件を見事に満たしているし、そして、トレント公会議の精神に―常に文字通りにではないにせよ―順っているのである。」 (p202-204, デイヴィッド・G・ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』)  
 「[…]このようなパレストリーナの経歴に加えて、彼の作品のほとんどが宗教音楽であることから、彼は典型的なローマ・カトリック教会の作曲家であると言えるだろう。しかしパレストリーナは、人間的にも音楽的にも、一般に思われているほど世俗的要素を寄せ付けないような作曲家であったのではない。たとえば、世俗曲の旋律をミサ曲の素材として用いて、「ミサ戦士」という作品を書いたり、あるいは「四度のミサ」とか「無名のミサ」という不明瞭な曲名をつけることによって、世俗的素材を使用していることを隠すかのようなこともやっている。」 (p167, 須貝静直「ジョヴァンニ・ピエール・ルイジ・ダ・パレストリーナ」『ルネッサンス・バロック音楽の世界―バッハへ至る道』)  
 「彼[パレストリーナ]とともに音楽は新しい段階に足を踏み入れた。精神が音楽的素材を完全に支配し、個々の音をしっかりと捉えた。音楽は言語を映す鏡となり、言葉を語る存在としての人間を実現する能力を得た。装飾(あるいは構成)と人間表現との綜合が達成された。それによって、パレストリーナとともに音楽史上の新しい時期、すなわち人間の表現としての音楽という時期が始まったのである。」 (p96, T・G・ゲオルギアーデス『音楽と言語』)  
 
〇ルネサンス ― パレストリーナの生きた時代
・ルネサンスという時代
 「音楽史におけるルネサンスは、ギョーム・デュファイ(1400頃―74)、ジル・バンショワ(1400頃―60)、アントワーヌ・ビュノワ(1400頃―92)等、フランドル出身の音楽家たちがブルゴーニュ公国を中心に活躍し、アルス・ノヴァ以来のフランスの伝統的作曲技法を中核として、それにイギリスの充実した和声感とイタリアの流麗な旋律法とを同化することによって新しい国際的なポリフォニー様式をつくりだした十五世紀中頃にはじまり、フィレンツェのカメラータがモノディを創作することによって音楽史上のバロックを切り開いた十六世紀末にいたるまでの約一世紀半ということになる。」 (p73, 永田仁「パレストリーナとルネッサンスの教会音楽」『ルネッサンス・バロック音楽の世界―バッハへ至る道』)  
 「ルネサンスは、詩と音楽の『正しい』関係が真剣に論じられた時代であった。もちろん、ギリシャの芸術を手本として。しかし残念なことに、古代の音楽そのものは残されていなかった。手本にする作品そのものがないのだから、せめて理論的に古代の考え方を学ぶのが先決だった。ルネサンス人の感心なところは、いや無謀な(といった方がいいかもしれない)ところは、ギリシャ音楽と彼ら自身の音楽に、どんなに大きな違いがあるかをさして気にもとめずに、理論的研究にとどまることなく実践にものりだした点であろう。[…]この時期には言葉と音楽の関係も、今日的な見方をすれば、衒学的な迷路にまよいこんでしまったかに見える。本書が扱ってきたのは、まさにこの時期の音楽を中心としているのだ。歌詞には往々にして隠された意味があり、音楽づけは基本的に視覚的である。こうして出来あがった曲は、えらばれた者のエリート意識をくすぐる謎解きの材料となる。
 1500年代も末に近づくと、プロとアマチュアの音楽家たちに、詩人や言語学者をまきこんで、新たな観点からの『正しい言葉と音楽の関係』『正しい音楽のあり方』を追求する動きがやはりフィレンツェではじまった。作曲者でもなく、演奏者でもない、第三者としての『聴き手』の立場が意識されていた点が、新しい運動のポイントの一つであった。」 (p221-222, 岸本宏子『ルネサンスの歌物語』)  
 「私たちは音楽を耳で聴くものと思いこんでいるが、耳に訴える曲づくりが作曲の正統派になったのは、実は1600年をすぎてからのことなのだ。たしかに、耳で聴いて感動を受ける作品はすばらしい。けれど、言葉を理解しなくても万人に感銘を与える作品のほうが、普遍的な価値を持ち、それゆえに優れているといいきれるだろうか。そんなことをいえば、聴き手の言葉の理解力に左右される声楽より、万人に同等に訴えかける器楽の方が優れている、という論議にもなりかねない。」 (p228, 岸本宏子『ルネサンスの歌物語』)  
 
・パレストリーナに至るまでのイタリアの音楽
 「十五世紀のイタリア人が好んで作曲したシンプルな歌曲のたぐいは、いずれもホモフォニックな三声または四声の有節歌曲である。[…]芸術的に高度な形式の詩が歌詞に選ばれるようになって、音楽面でもフロットラからマドリガーレへの決定的な第一歩がはじまった。はじめに設定した二つあるいは三つの旋律線に、詩をなんとかあてはめ押し込んでしまうという、フロットラのやり方は次第に消えていく。それに代わって一行一行の内容にあわせて音楽を新たに織り上げるようになる。すなわち、有節形式は捨てられ、通作形式が採用されるようになったのである。それとともに、歌詞の一語一語、一行一行の内容にふさわしい表現をもとめて、旋律も変化に富んだものとなっていく。もう一つの大きな変化は、ホモフォニックな様式のなかに、フランドル風の模倣的ポリフォニーが浸透していったことである。そしてまたマドリガーレの通作化から、歌詞はなにも定型詩である必要がなくなって、自由形式詩をふくむ多様な詩が用いられるようになる。」…

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小田 直弥(おだ なおや)

東京学芸大学大学院(声楽領域)修了。2012年音楽之友社主催のオーディションを経てザクセン州立国立歌劇場での研修(声楽)に参加。2014年春期ミュンヘン国際音楽セミナーオペラ部門(声楽)を修了。声楽の共演ピアニストとして、近年では「コルンゴルトの夕べ」(2018,バリトン:石崎秀和氏)、「大野徹也リサイタル~東京学芸大学退官記念~」(2019)、「新作歌曲の会第21回演奏会」(2021)、「高橋美千子ソプラノリサイタル Romances sans Paroles-無言の恋歌」(2023)等がある。合唱指導を担当する「合唱団よびごえ」は、「東京春のコーラスコンテスト2022 ユースの部 女声」で金賞・1位, 東京都合唱連盟理事長賞を受賞。教育の実践的研究も含め、「演奏」「教育」「研究」の3つの柱で活動を行っている。
国立大学法人弘前大学教育学部音楽教育講座助教、特定非営利活動法人東京学芸大こども未来研究所学術フェロー、合唱団よびごえ指導者。