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2019.07.15

リートの魅力とは…?

音と言葉。音楽と詩と。―それぞれ異なった二つの世界であり、違った源泉から流れ出た二つの大きな流れです。しかもこの二つは、―その他のさまざまな芸術とは違って―恋愛的な同棲生活を営むこと、この二つが合体して一つの巨大な流れをなすことができます。 『音と言葉』(フルトヴェングラー著、芳賀檀訳)より 小田石崎先生はリサイタル等で積極的にリートをお歌いになられていると感じており、また先日「コルンゴルトの夕べ」(2018年6月、松尾ホール)でご一緒させていただいた際には、一言でいうと、リートへの愛がすごい!と感じました。そんな想いもあり、石崎先生にとって「リートを歌い続ける魅力」についてもぜひお聞かせいただきたいです。 石崎そうだね…、バラードとかを考えると「すべてを担える喜び」っていうのかな、単純に。それがもしオペラだったら登場人物が分かれるわけじゃない。それを1人で演じることのできる喜びっていうのかな。 小田吟遊詩人のような…? 石崎そうそう、吟遊詩人になれるっていう…、それがやっぱり醍醐味かな。それで語れる、詩もある。詩を音楽にのせて語れるっていうのがとても心地よい。 小田それはトゥルバドールの喜びに近いのでしょうね。ただそうなると、なぜイタリアやフランスの歌ではなくドイツの歌だったのか、というところも気になるのですが…。 石崎そうだよね。(現代の視点から見ると)イタリアはオペラの歴史が色濃く、もちろん歌曲もあるけど、それは「見直されてきた」という風に思う。例えば、森田学さん(声楽家)が関わられたN. v. ヴェストラウト(作曲家/1857-1898)の取り組みをはじめとして、イタリア歌曲の価値が少しずつ見直されてきたことで、いま、うまく価値が分離し始めたのがイタリアなのかな、と僕は思ってるんだよね。ドイツは、もちろんオペラやオペレッタというジャンルはあるんだけど、それとは別に歌曲というジャンルもあった。もちろんイタリアにも歌曲というジャンルはあったんだけど、明らかにウェイトはオペラにあって、それゆえに素晴らしい歌曲作品もクローズアップされにくい状況があるんじゃないかな。ドイツはクローズアップされやすい状況があった、っていうことかな。 小田1人で全部担える、ということと、国としての歴史的な系譜を考えるほかに、イタリアはオペラ、ドイツはリート、フランスはどっちも、という私たち日本人が勝手に描いているイメージはあるのかなと感じました。ドイツにもたくさん素晴らしいオペラがありますから、このイメージはあくまでもイメージでしかない、ということはありますね…。イタリア歌曲についても大変造詣が深い森田さんとお話をさせて頂く中で、どうしてもイタリアものだと歌曲だけを勉強するというイメージがない、という話をしてくださり、とても印象的だったのを覚えています。イタリアではやはりオペラが1番で、歌曲は2番目?と映ってしまってもしょうがない現状がつくり出されてしまっているのに対して、ドイツはオペラもリートも2番ではない、という状況は面白いと感じています。
少し話題が飛ぶのですが、チマーラ歌曲集(全音楽譜出版社)の編纂やプッチーニ自身による自作の解釈をおまとめになった御本を出されている三池三郎先生のレッスン伴奏に伺った際に、「イタリアの歌は清潔でなければならない」とのお言葉があり、これは例え詩の内容がどんなに悲劇的でも声が感情に溺れてはならない、と私は解釈しました。一方、ドイツでは感情美学の系譜があり、H. ヴォルフ(作曲家/1860-1903)以降の作品に直接みられるように、リアルな語りの要素を歌に取り込んでいくスタイルはより声に対する美意識を拡散させたと感じています。このような背景に対し、演奏者としてどのようにリート作品と向き合い、演奏していくのかという点についてお聞かせいただけると嬉しいです。 石崎僕はドイツリートの発声や表現について概念を覆されたのはH. プライとF. ヴンターリッヒ(テノール/1930-1966)で、まぁあの時代って、例えばH. プライとF. ディースカウ(バリトン/1925-2012)、F. ヴンダーリッヒとP. シュライヤー(テノール/1935-)、この4人が4者4様で比べられていたかと思うんだけど、「ドイツリートってこうあるべきだ」という概念がまず発声としてはヴンダーリッヒに覆されたかな。これでいいんだって妙に納得した。表現で覆されたのはプライ。どうしても日本でのイメージではディースカウが強くて、僕にとっては驚きだった。なので、この2人のリートを聴いて、単純にかっこいいと思ってしまったんだよね。これがなかったらリートをやろうって思えていなかったかもしれない。 小田もう1つ視点を広げると、僕はピアノを弾く立場として、アンサンブルという側面はドイツリートの魅力を語るうえで無視できないと感じています。例えば、F. P. トスティ(作曲家/1846-1916)はとりわけその晩年、詩の持つ世界観を歌唱旋律優位にならずピアノも含めて大変繊細に表現したと感じていますが、そのような取り組みの原石は、実はもう少し早い段階でドイツでは実験されていたのではないかと感じています。ドイツでは音楽修辞の発達など、歌唱旋律の心地よさ以外の声楽作品の価値が認められやすい土壌があったのも影響があるのかもしれませんが、その中での彼らの発見の1つは「関係」、つまりアンサンブルということだったのではないかと考えています。 石崎なるほど。ドイツのなかでもいろいろあるとは思うけども、大前提は「平等」だよね。並走していくというか。並走の喜びというのは、詩が音と密接に絡み合っているのが前提として、それをピアニストと一緒に共有できる喜びだと思うんだよね。詩と音の関連を見出さず、音だけを見て伴奏合わせをするパターンもなくはないと思うけども、そこで得られる喜びと、歌い手とピアニストが一緒になって詩を見つめている喜びは違う体験だと感じるかな。そのための歩み寄りがとても緻密にできるのがリートなのかなって思うし、そこで生まれる化学反応こそリートの醍醐味かな。 小田今お話をお伺いしていて、リートの枠を考える際に、歌い手とピアニストとの関係というものも入れていいのかなと拡大解釈かもしれませんが感じました。作品そのものがリートのスタイルかどうか、という問題にとどまらず、演奏も含めて考えてみたいということです。例えば、「リートを聴けた!」という瞬間はとても貴重な瞬間だと思っていて、ピアニストが歌い手に完全についていくパターンを思うと、これはリートなのか?って考えてしまう自分がいます。やっぱり「歌」というものを考えるにあたって、演奏を一緒に成立させる、という意味では「関係的なところ」を考慮せざるを得ないと思っていて、さらに言うと、日本人は相手に合わせるのが得意なのではないかなって思ってしまいます。やはりドイツの文化の中で生まれた「リート」というものは、一人一人の関係性がイーブンであり、お互いを尊重し合い、それでいても自分の柱は持っている、という彼らだからこそこの文化が発達してきて、それをいま日本で「リートをやろう!」となると、そこがどこか欠落しがちなのではないかと感じます。
「正確な音が鳴ればリートなのか?」と思うと、少し寂しい気がします。ピアニストと歌い手は異なる旋律を持つんだけれども、詩というもので繋がることができるならば、結果としてCDのような演奏でなかったとしても、リートという現象はそこにはあるのではないか、と思います。リートとは関係的であって、ドイツ人の文化そのものである。そして、それぞれの作品は作曲家によって歌い手とピアニストの関係が試行された1つの結晶、という風に捉えてみると、リートの1つの縦断的な視点が得られる気がしますし、リートを演奏する上で大切なことってなんなんだろうか、というヒントも得られる気がしています。 石崎もう、大賛成です。例えば、教育的経験でいくと、レッスンのとき、よく、「合わせをしてきました」と言う学生がいて、「どのようにやってきたの?」と聞くとやはり縦をあわせて、音を合わせてきたみたいだったんだよね。そのときはピアニストに「歌い手の詩を語るエネルギーの流れと息の流れをきいてごらん」と言ったらうまくいってしまうんだよね。曲によっては、いくら縦を合わそうとしても合わない曲っていうのがあって、そういうところが上手く弾けるピアニストというのはアンサンブルができる準備ができているんだと思うんだよね。そういう人は、室内楽のような他ジャンルにいったとしてもうまくいくことが多いと思う。 小田自分一人がうまく演奏できたつもりでもなにか物足りない、そんなとき、「関係/アンサンブル」というものを身体は欲しているのかもしれませんね。詩と音楽のように、歌い手とピアニストも関係的であることが大切なんだ、とすごく納得してしまいました。
石崎 秀和(バリトン)
日本大学芸術学部音楽学科声楽コース卒業。ウィーン国立音楽大学リート・オラトリオ科修了。東京藝術大学大学院博士後期課程修了。修了時に博士号(音楽)を取得。文化庁派遣芸術家在外研修員として一年間ウィーンに留学。
オーストリア、バーデン市にてドナウレンダー国際夏期アカデミーコンクール第1位、第14回友愛ドイツ歌曲コンクール第3位、第11回日本モーツァルト音楽コンクール第3位等受賞。 オペラでは、新国立劇場『アンドレア・シェニエ』フレヴィル、『サロメ』カッパドキア人、びわ湖ホールオペラ『シチリア島の夕べの祈り』ベトゥーネ卿、『十字軍のロンバルディア人』アッチャーノ、読響定期『午後の曳航(世界初演)』首領、二期会オペラ公演『カプリッチョ』オリヴィエ、『魔弾の射手』キリアン、東京室内歌劇場『卒塔婆小町』詩人、『インテルメッツォ』商工業顧問官、東京・春・音楽祭『ファルスタッフ』フォード、TIAAオペラ『ヘンゼルとグレーテル』ペーター、調布市民オペラ、君津市民オペラ『カルメン』モラレス、東京シティオペラ協会『ラ・ボエーム』マルチェッロ、『魔笛』パパゲーノ、『フィガロの結婚』フィガロ、日本演奏連盟創立50周年記念事業『三人の女達の物語』町人等に出演。
オラトリオでは、バッハ「マタイ受難曲」「クリスマス・オラトリオ」、ハイドン「パウケンミサ」、モーツァルト「レクイエム」、「ハ短調ミサ」、ベートヴェン「第九」、フォーレ「レクイエム」等のソリストとして多数出演。
歌曲のリサイタルやコンサートも精力的に行っており、特にカール・レーヴェのバラードやエーリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの歌曲を好んで演奏・研究している。
現在、東京学芸大学准教授。日本演奏連盟、二期会会員。…

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合唱団よびごえ

初めて合唱をする学生から高度な合唱を経験してきた学生まで、東京学芸大学音楽科学生有志で活動をしています。
ルネサンスから現代合唱まで幅広い作品を扱い、言葉と音楽の関係を中心とした作品理解から表現へつなげていきます。

第76回東京都合唱祭

「くじら」「ひこうき」「ゆきがとける」「いきもの」(松下耕作曲)

オペラ台本研究会

イタリアオペラの台本(セリフ)は韻文で書かれています。そのセリフは文字通りの意味だけでなく、背後に登場人物の心持ちや思いが存在しています。オペラ台本は単に読むための作品ではなく、上演されることを前提に書かれています。演者が声に出し、舞台上で演じることで成立するテキストなのです。これらの仕組みや作者の意図も含め台本を読み解いていくのが本研究会の主な活動になります。

memo


2019.11.18

日本の合唱作品に登場する特殊な記号たち

合唱は従来、いくつかのパートがそれぞれの音程やリズム、言葉を担い、それらが歌い手の身体を通して同時に再生されることで空間にハーモニーが生まれ、時には言葉の掛け合いが生まれるような音楽形態、と大変簡素ながらもまとめることができるかもしれません。それが、時代の流れの中で、創作者独自の哲学によってもたらされた様々な特殊唱法/奏法を取り込み、新たな体験へと拡張していることは、作曲家たちの生み出したその豊かな”記号たち”が示していると思われます。
そこで、以下では、日本の合唱作品における特殊唱法/奏法の一端を紹介することとします。これらの記号からは、合唱の含有するどの要素に対して作曲家が拡張の可能性を感じていたのか(例えば、拍子、声の使い方など)が読み取れるとともに、なぜそれらを開発し、採用しなければならなかったのか、という問いを与えてくれます。
「知らない記号=怖い=演奏しない」という思考にならず、どうか、日本が築いてきた合唱という体験の多様さと向き合うヒントにしていただけると幸いです。
 
<拍子に関するもの>
1.『ひみつ』「ひみつ」(谷川俊太郎/鈴木輝昭)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、数字で示しています。その基準となる音符は、ここでは四分音符です。

2.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、分数の形で示しています。

3.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化が各小節の左上に分数の形で示されていますが、そこで用いられているのは「付点8分音符分の1」「付点8分音符分の1プラス8分音符」「8分音符×2」など、多様です。

 
<時間に関するもの>
4.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
拍子の代わりに、この作品では3秒ごとに基準となる印が示されており、それを基準に音楽を進めていくことが記されています。指揮者がストップウォッチを持ち込んで演奏することがあります。

5.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
全休符の代わりに、ひし形に斜め線の入った記号が使われています。単純な休符ではなく、描かれている情景や音楽の流れにあった「間」をとることが意図されていると考えられます。

 
<音の伸ばしに関するもの>
6.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
倍全音符に似た記号が書かれてありますが、これは次の指示があるまで伸ばし続けることが意図されている、と考えられます。

7.『梟月図』「何が泣いただろうか」(宗左近/鈴木輝昭)
ここでは「B.O.」「B.F.」という、2種類のハミングが示されています。「B.O.」から「B.F.」、またその逆という組み合わせは音量の増減を意図して使用される場合があります。例えば、「B.F.」(口を閉じたハミング)から「B.O.」(口を開いたハミング)へと連続して歌唱すると、同じハミングでも、閉じていた口を開けることになるため音量も自然に大きくなります。この楽譜では、「B.F.」から「B.O.」になることで音量が自然に増すことが強弱記号でも示されています。(piu P から Pへと指示が変化している。)
ハミングについては、この他、様々な表記がなされることがあり、「B.F.」と同義なのは「Hum.」「m」、「B.O.」と同義なのは「ん」「n」等があります。

8.『Voice』「Since I was born…」(木島始/信長貴富)
黒塗りの全音符にフェルマータが付記されており、そこからナレーションのセリフへ矢印が示されています。これは、ナレーションが発音し終えるまで音を伸ばし続ける、という意味であり、その後は、ナレーションが終わるとそれに反応して次のフレーズへとつながる、という指示になっています。

 
<声の使い方、表現に関するもの>
9.『合唱のためのコンポジション14番』「KANJO」(間宮芳生)
黒く塗りつぶされた部分は、可能な限りその範囲の音を埋め、クラスターを作るよう意図されいています。写真の左側のクラスターの場合は、例えば、「レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯、シ、ド」をすべて発声することになります。右側のクラスターでは、最初は1音から、次第に音が重なり、ソの音までクラスターが広がるよう指示されています。
このようなクラスターの書法は『原爆小景』「日ノ暮レチカク」(原民喜/林光)でも見られます。

10.『合唱のためのコンポジション14番』「SHINGON」(間宮芳生)
ここでは、声楽的な歌唱よりも話すような声の使い方で、例えばテノール1であれば、およそシの音の高さで「n」を発音し、4拍かけて低いラの音辺りまでグリッサンドで下降し、その後「no」「mo」「no」「mo」を繰り返す中で次第にささやき声のように音量を落としていくよう、指示がなされています。

11.『のら犬ドジ』「ドジじゃないぞ」(蓬莱泰三/三善晃)…
2019.10.07

パレストリーナへの視点

現在もなお愛されているイタリア・ルネサンス後期の音楽家、パレストリーナ(正式な名を)は「教会音楽の父」と呼ばれることもあり、西洋音楽の歴史をたどっていく中で、1つのポイントとなる人物です。
ここでは、以下、パレストリーナに関して記されたいくつかの文献から、彼をめぐるいくつかの視点と、彼の代表作の1つである「Sicut cervus desiderat ad fontes」の演奏に関する記述も例示します。
 
 「パレストリーナは、ローマ近郊の町に生まれ、一生涯にわたってほとんどローマに住み、そこで活動した。彼の関心は、事実上、専ら宗教音楽にのみ集中していた。彼は、100曲以上ものミサ曲と数百曲ものモテットを書いたが、世俗曲はほんの数曲しか作曲しなかったのである。彼は、生前にも高い評価を得ていたが、死後には、いわば、彼の時代の完璧な大作曲家として大天才の位置に列せられ、更に大きな評価を受けるようになった。彼の諸作品は、完璧な手本とされ、今日に至るまでの声楽的対位法の教育の基本となった。他に比肩するもののないほどのこうした称賛を彼が得たのは、或る程度まで、歴史的偶然の結果だったとも言える。つまり、彼は、同時代の他のとても優れた作曲家達に比べて、それほど図抜けていたわけではなかった。だが、そうとはいえ、彼の音楽は、疑いなく、典礼式用の音楽に必要とされる諸条件を見事に満たしているし、そして、トレント公会議の精神に―常に文字通りにではないにせよ―順っているのである。」 (p202-204, デイヴィッド・G・ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』)  
 「[…]このようなパレストリーナの経歴に加えて、彼の作品のほとんどが宗教音楽であることから、彼は典型的なローマ・カトリック教会の作曲家であると言えるだろう。しかしパレストリーナは、人間的にも音楽的にも、一般に思われているほど世俗的要素を寄せ付けないような作曲家であったのではない。たとえば、世俗曲の旋律をミサ曲の素材として用いて、「ミサ戦士」という作品を書いたり、あるいは「四度のミサ」とか「無名のミサ」という不明瞭な曲名をつけることによって、世俗的素材を使用していることを隠すかのようなこともやっている。」 (p167, 須貝静直「ジョヴァンニ・ピエール・ルイジ・ダ・パレストリーナ」『ルネッサンス・バロック音楽の世界―バッハへ至る道』)  
 「彼[パレストリーナ]とともに音楽は新しい段階に足を踏み入れた。精神が音楽的素材を完全に支配し、個々の音をしっかりと捉えた。音楽は言語を映す鏡となり、言葉を語る存在としての人間を実現する能力を得た。装飾(あるいは構成)と人間表現との綜合が達成された。それによって、パレストリーナとともに音楽史上の新しい時期、すなわち人間の表現としての音楽という時期が始まったのである。」 (p96, T・G・ゲオルギアーデス『音楽と言語』)  
 
〇ルネサンス ― パレストリーナの生きた時代
・ルネサンスという時代
 「音楽史におけるルネサンスは、ギョーム・デュファイ(1400頃―74)、ジル・バンショワ(1400頃―60)、アントワーヌ・ビュノワ(1400頃―92)等、フランドル出身の音楽家たちがブルゴーニュ公国を中心に活躍し、アルス・ノヴァ以来のフランスの伝統的作曲技法を中核として、それにイギリスの充実した和声感とイタリアの流麗な旋律法とを同化することによって新しい国際的なポリフォニー様式をつくりだした十五世紀中頃にはじまり、フィレンツェのカメラータがモノディを創作することによって音楽史上のバロックを切り開いた十六世紀末にいたるまでの約一世紀半ということになる。」 (p73, 永田仁「パレストリーナとルネッサンスの教会音楽」『ルネッサンス・バロック音楽の世界―バッハへ至る道』)  
 「ルネサンスは、詩と音楽の『正しい』関係が真剣に論じられた時代であった。もちろん、ギリシャの芸術を手本として。しかし残念なことに、古代の音楽そのものは残されていなかった。手本にする作品そのものがないのだから、せめて理論的に古代の考え方を学ぶのが先決だった。ルネサンス人の感心なところは、いや無謀な(といった方がいいかもしれない)ところは、ギリシャ音楽と彼ら自身の音楽に、どんなに大きな違いがあるかをさして気にもとめずに、理論的研究にとどまることなく実践にものりだした点であろう。[…]この時期には言葉と音楽の関係も、今日的な見方をすれば、衒学的な迷路にまよいこんでしまったかに見える。本書が扱ってきたのは、まさにこの時期の音楽を中心としているのだ。歌詞には往々にして隠された意味があり、音楽づけは基本的に視覚的である。こうして出来あがった曲は、えらばれた者のエリート意識をくすぐる謎解きの材料となる。
 1500年代も末に近づくと、プロとアマチュアの音楽家たちに、詩人や言語学者をまきこんで、新たな観点からの『正しい言葉と音楽の関係』『正しい音楽のあり方』を追求する動きがやはりフィレンツェではじまった。作曲者でもなく、演奏者でもない、第三者としての『聴き手』の立場が意識されていた点が、新しい運動のポイントの一つであった。」 (p221-222, 岸本宏子『ルネサンスの歌物語』)  
 「私たちは音楽を耳で聴くものと思いこんでいるが、耳に訴える曲づくりが作曲の正統派になったのは、実は1600年をすぎてからのことなのだ。たしかに、耳で聴いて感動を受ける作品はすばらしい。けれど、言葉を理解しなくても万人に感銘を与える作品のほうが、普遍的な価値を持ち、それゆえに優れているといいきれるだろうか。そんなことをいえば、聴き手の言葉の理解力に左右される声楽より、万人に同等に訴えかける器楽の方が優れている、という論議にもなりかねない。」 (p228, 岸本宏子『ルネサンスの歌物語』)  
 
・パレストリーナに至るまでのイタリアの音楽
 「十五世紀のイタリア人が好んで作曲したシンプルな歌曲のたぐいは、いずれもホモフォニックな三声または四声の有節歌曲である。[…]芸術的に高度な形式の詩が歌詞に選ばれるようになって、音楽面でもフロットラからマドリガーレへの決定的な第一歩がはじまった。はじめに設定した二つあるいは三つの旋律線に、詩をなんとかあてはめ押し込んでしまうという、フロットラのやり方は次第に消えていく。それに代わって一行一行の内容にあわせて音楽を新たに織り上げるようになる。すなわち、有節形式は捨てられ、通作形式が採用されるようになったのである。それとともに、歌詞の一語一語、一行一行の内容にふさわしい表現をもとめて、旋律も変化に富んだものとなっていく。もう一つの大きな変化は、ホモフォニックな様式のなかに、フランドル風の模倣的ポリフォニーが浸透していったことである。そしてまたマドリガーレの通作化から、歌詞はなにも定型詩である必要がなくなって、自由形式詩をふくむ多様な詩が用いられるようになる。」…

profile


小田 直弥(おだ なおや)

東京学芸大学大学院(声楽領域)修了。2012年音楽之友社主催のオーディションを経てザクセン州立国立歌劇場での研修(声楽)に参加。2014年春期ミュンヘン国際音楽セミナーオペラ部門(声楽)を修了。合唱指導を行う他、共演ピアニストとしての活動にも力を入れており、近年では「コルンゴルトの夕べ」(2018,バリトン:石崎秀和氏)、「新作歌曲の会第20回演奏会」(2019)、「大野徹也リサイタル~東京学芸大学退官記念~」(2019)等がある。また、教育実践、研究も含め、「演奏」「教育」「研究」の3つの柱で活動を行っている。
国立大学法人弘前大学音楽教育講座助教、特定非営利活動法人東京学芸大こども未来研究所学術フェロー、合唱団よびごえ指導者。