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2019.11.18 日本の合唱作品に登場する特殊な記号たち

合唱は従来、いくつかのパートがそれぞれの音程やリズム、言葉を担い、それらが歌い手の身体を通して同時に再生されることで空間にハーモニーが生まれ、時には言葉の掛け合いが生まれるような音楽形態、と大変簡素ながらもまとめることができるかもしれません。それが、時代の流れの中で、創作者独自の哲学によってもたらされた様々な特殊唱法/奏法を取り込み、新たな体験へと拡張していることは、作曲家たちの生み出したその豊かな”記号たち”が示していると思われます。
そこで、以下では、日本の合唱作品における特殊唱法/奏法の一端を紹介することとします。これらの記号からは、合唱の含有するどの要素に対して作曲家が拡張の可能性を感じていたのか(例えば、拍子、声の使い方など)が読み取れるとともに、なぜそれらを開発し、採用しなければならなかったのか、という問いを与えてくれます。
「知らない記号=怖い=演奏しない」という思考にならず、どうか、日本が築いてきた合唱という体験の多様さと向き合うヒントにしていただけると幸いです。
 
<拍子に関するもの>
1.『ひみつ』「ひみつ」(谷川俊太郎/鈴木輝昭)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、数字で示しています。その基準となる音符は、ここでは四分音符です。

2.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、分数の形で示しています。

3.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化が各小節の左上に分数の形で示されていますが、そこで用いられているのは「付点8分音符分の1」「付点8分音符分の1プラス8分音符」「8分音符×2」など、多様です。

 
<時間に関するもの>
4.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
拍子の代わりに、この作品では3秒ごとに基準となる印が示されており、それを基準に音楽を進めていくことが記されています。指揮者がストップウォッチを持ち込んで演奏することがあります。

5.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
全休符の代わりに、ひし形に斜め線の入った記号が使われています。単純な休符ではなく、描かれている情景や音楽の流れにあった「間」をとることが意図されていると考えられます。

 
<音の伸ばしに関するもの>
6.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
倍全音符に似た記号が書かれてありますが、これは次の指示があるまで伸ばし続けることが意図されている、と考えられます。

7.『梟月図』「何が泣いただろうか」(宗左近/鈴木輝昭)
ここでは「B.O.」「B.F.」という、2種類のハミングが示されています。「B.O.」から「B.F.」、またその逆という組み合わせは音量の増減を意図して使用される場合があります。例えば、「B.F.」(口を閉じたハミング)から「B.O.」(口を開いたハミング)へと連続して歌唱すると、同じハミングでも、閉じていた口を開けることになるため音量も自然に大きくなります。この楽譜では、「B.F.」から「B.O.」になることで音量が自然に増すことが強弱記号でも示されています。(piu P から Pへと指示が変化している。)
ハミングについては、この他、様々な表記がなされることがあり、「B.F.」と同義なのは「Hum.」「m」、「B.O.」と同義なのは「ん」「n」等があります。

8.『Voice』「Since I was born…」(木島始/信長貴富)
黒塗りの全音符にフェルマータが付記されており、そこからナレーションのセリフへ矢印が示されています。これは、ナレーションが発音し終えるまで音を伸ばし続ける、という意味であり、その後は、ナレーションが終わるとそれに反応して次のフレーズへとつながる、という指示になっています。

 
<声の使い方、表現に関するもの>
9.『合唱のためのコンポジション14番』「KANJO」(間宮芳生)
黒く塗りつぶされた部分は、可能な限りその範囲の音を埋め、クラスターを作るよう意図されいています。写真の左側のクラスターの場合は、例えば、「レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯、シ、ド」をすべて発声することになります。右側のクラスターでは、最初は1音から、次第に音が重なり、ソの音までクラスターが広がるよう指示されています。
このようなクラスターの書法は『原爆小景』「日ノ暮レチカク」(原民喜/林光)でも見られます。

10.『合唱のためのコンポジション14番』「SHINGON」(間宮芳生)
ここでは、声楽的な歌唱よりも話すような声の使い方で、例えばテノール1であれば、およそシの音の高さで「n」を発音し、4拍かけて低いラの音辺りまでグリッサンドで下降し、その後「no」「mo」「no」「mo」を繰り返す中で次第にささやき声のように音量を落としていくよう、指示がなされています。

11.『のら犬ドジ』「ドジじゃないぞ」(蓬莱泰三/三善晃)
「にまい目」も「団十郎」も、声楽的な音程のついた音を歌唱するというよりは掛け声のようなニュアンスであると思われますが、×だけのものと、×に□がついているものは、伸ばしのニュアンスが含まれるものに□が付加されていると考えられます。ついては、「にまいめーーーー!」と「だーーんじゅーーうろーーう」となります。

12.『ラプソディー・イン・チカマツ』「貳の段」(近松門左衛門/千原英喜)
図形譜のように、横軸を時間軸、縦軸を音の高さとして、歌唱すべき旋律が線で描かれています。このような図形譜の要素を取り入れた作品として、他に、『海の詩』「内なる怪魚 シーラカンス」(岩間芳樹/廣瀬量平)があります。

13.『合唱のためのコンポジション14番』「SHINGON」(間宮芳生)
12.と同じような内容ですが、ここでは「7秒」で指示された線のように歌唱することが示されています。

14.『氷河の馬』「氷河の馬」(大手拓次/西村朗)
ここでは2つの特殊唱法が示されています。1つは、ソプラノ、アルトによる分割唱(ホケトゥス)です。「しずかに しずかに よびかえして ともどもに」という日本語の流れが、ソプラノとアルトで1文字ずつバラバラに配置されています。ソプラノとアルトがレガートに歌唱することで、結果的に1つの日本語の流れが浮かび上がってきます。
もう1つはテノール、バスの音符の上についてある〇ですが、これは裏声で歌唱することを意味しています。

15.『笑いのコーラス』「贈り物」(高階杞一/横山潤子)
「すてきなやつを」の上に、矢印が2つありますが、これについて作曲者は「詩の意味やリズム・音の抑揚に添った緩急で、cresc., decresc.を伴うこともあります」と解説しています。

 
<手足に関すること>
16.『Voice』「Since I was born…」(木島始/信長貴富)
歌唱のための五線の下に、手足のタイミングを示す二線が示されています。

17.『のら犬ドジ』「ドジじゃないぞ」(蓬莱泰三/三善晃)
下のパートが2つに分かれて拍手をするよう、拍手のための線が記されています。1つのパートは「付点4分音符+8分音符+4分音符」、もう1つのパートは4分音符の刻みをするよう示されています。