よびごえ日誌


2019.10.31 【2019】よびごえ日誌 vol.023

こんにちは、名嘉眞です。学芸大学は、学園祭でにぎわっています。音楽科でも、毎年恒例小金井祭コンサートが開かれ、私たちの出番もいよいよ明日となりました。
 
今回は、本番直前の稽古ということで、歌をうたう前のスイッチの入れ方がメインとなりました。というのも、本番では、場所、隊形、緊張状態など、いつもと違うことが起こります。またこれは、個人の問題ではなく、私たちが合唱という集団芸術のかたちである以上、お互いに影響しあいます。本番特有の緊張や興奮状態の中でしか生まれない、熱い演奏も、本番の楽しみではあります。しかし一方で、曲が常に持っている熱量や世界観を、着実に再生していくための仕掛けとして、スイッチが必要です。
 
今回初めに曲を通した時、何か全然まとまらなかったな、という印象でした。同じベクトルに向いているはずなのに、集団だからこそ生まれる、音楽の大きなうねりが感じられません。いつもと隊形が違うことで、聞こえ方が変わり、曲に集中することよりも、周辺の環境に気を配りすぎるがあまり、私たち個人が硬直してしまい、結果的に音楽が硬直してしまいました。小田さんからその後、「死生観」についての話があったり、曲のイメージを音楽的要素と詩から再統合することで、みんなの中の音楽が潤いを取り戻しはじめ、だんだんと動いてきました。個人の状態も安定し、音楽と向き合う情緒的な基盤が作られて、ようやく曲と一体となることができるのだと知りました。
 
実は、今回の稽古には美術科からスペシャルゲストが4人来てくれました!たった二時間で音楽がどんどん変容していくのが面白かった。音楽を通して、自分と向き合うことができた。音楽をするという行為は、究極の鑑賞だと思った。など、私たちでは発見することのできない、美術科ならではの視点もあり、お互いにとって有意義な時間となったのではないでしょうか。学芸大学には各教科のオタク…ではなく、専門家がたくさんいます。自分の領域に熱中するがあまり、他学科との交流は少なくなりがちですが、よびごえが鎖国することなく、開かれた空間であってほしいな、というのが、1つわたしの願望であったりもします。
 

 
ここからは美術科のみなさんのお話を受けて、お話しします。私たちは、演奏することを通して、自分の中に他者を生み出します。曲と初めて向き合ったとき、楽譜は他者です。しかし、練習を重ね、曲と向き合う時間が増え、曲を理解するということが、いつの間にか、曲に描かれた、他者を理解するという行為になります。他者理解をしたうえで、表現というアウトプットの行為に及んだ時、自分の中に他者が生まれるのです。そして、身体の中から出てきた演奏は、自分でもなく他者でもない、入り交じった第三者となって、聞き手の耳に届きます。『究極の鑑賞』というのは、音楽そのものを鑑賞することだけでなく、自分自身の鑑賞という意味にもなるかもしれません。聞き手のみなさんの中に何かを残せる演奏ができるよう、真心を込めて演奏したいと思います。
 
次回のよびごえ日誌は、小金井祭でよびごえとしての初舞台を迎える、一年生の1人、神谷咲妃さんにお願いします!
 
それでは、4日16時音楽ホールにて、お会いしましょう!

名嘉眞